目次

1.豆腐と納豆はどちらが先に生まれた?

大豆は弥生時代に伝わってきた
世界でも類を見ないような大豆の食文化を築いてきた日本人ですが、大豆や大豆製品自体のルーツは、中国にあります。

大豆という植物そのものの起源はシベリアから中国の東北部あたり、あるいは中国の南部だろうといわれています。その大豆が日本に伝播したのは、弥生時代の前期、紀元前3世紀ごろではないかと考えられています。稲作などとともに伝えられたとされますから、日本人と大豆はたいへん長い付き合いということになります。

一方中国では、紀元前1200年ごろから、みそやしょうゆなどの発酵食品のルーツである醤 (ひしお) というものが作られていました。肉や魚を麹菌で発酵させて塩蔵したもので、秋田のショッツルと似たようなものです。

現在の「寺納豆」「塩辛納豆」の元祖である、大豆を使った鼓(し) という食べ物も、紀元前100年ごろにはあったという記録があります。

こうした発酵食品の製法が日本に伝わったのは、奈良時代に遣唐使が中国に赴いてからのようです。日本にも、弥生時代すでに肉や魚を使った醤はあったようですが豆の発酵食品はこの時代くらいからとされます。それまでは大豆は煮て食べたり、きな粉にして食べたりしていたと思われますが日本ではそれ以降急速にバラエティ豊かな大豆製品が生まれていったようです。

平安時代から鎌倉時代にかけての文献には中国に修行に行ってきた僧が、「経山寺みそ」 の作り方を覚えてきて、それを日本に伝えたという記録があります。このみその桶の底に たまった汁を調理に使うとおいしいということが発見され、室町時代から江戸時代にかけ て、中国の醤から日本独自のたまりじょうゆへと改善されていったようです。

日本での豆腐の最初の記録は「唐符」
豆腐も、中国が発祥の地です。 豆腐の作り方を発見したのは、紀元前二世紀の劉安だとされています。この人は、漢の初代王の孫で、武芸や学問にたいへん秀でており、『淮南子』という膨大な書物を残したことで有名です。

この劉安説は、16世紀の中国の書物に「豆腐は劉安が始まり」と記されているために広まっただけで、それを証明するような記録は一切なく、いつ、どのように発明したかなど不明なことが多いため、異説を唱える人がたくさんいます。

中国でも豆腐は「豆腐」と記述しますが、初めて豆腐ということばが記録に出てくるのは宗(960~) の時代のため、劉安よりもずっと後の、8~9世紀ぐらいなのではないかとの推定もあります。

日本には、奈良時代に中国の僧侶からもたらされたといわれますが、これもよくはわかっていません。日本で初めて記録に現れるのは、平安末期の奈良・春日大社の神主の日記です。この記録には「唐符」と記述されていますから、やはり製法が中国から伝わってきたのだけはたしかなのでしょう。

日本人とわらとの付き合いから糸引き納豆は生まれた
現在でも、「浜納豆」や「大徳寺納豆」などの糸を引かない塩辛い納豆があります。これは、先ほどもいったように中国から伝来した「鼓」を原型とする、寺納豆や唐納豆、塩辛納豆と呼ばれるものです。納豆菌を利用して発酵するのではなく、麹菌を使用するために、糸を引きません。

では糸を引く、私たちが現在ふつうに納豆と呼んでいるもののルーツは、いったいどこにあるのでしょうか。

日本人は、弥生時代に稲作が伝来して以来、脱穀した後の稲わらを、ずいぶん多方面で活用してきました。床にわらを敷いたり、屋根をふく材料にしたり、畳、ぞうり、ござ、みの、俵、縄などを作ったり。馬だけでなくて人間たちも、わらと一緒に住んでいたといっても過言でないくらい、周囲にわらはあふれていたのです。 そこに、煮た豆が落ちるか何かして、納豆が偶然発見されたというのは十分に考えられることです。

いつどこでどのように、ということまでは不明ですが、糸引き納豆との付き合いは、稲わらとともに暮らしてきた日本人とわらとの深い関係から生まれたといってよさそうです


2.納豆のルーツ
納豆のルーツは中国にあった
中国の人たちは、朝食を通勤途中の立ち食いできる食堂などでとったりするのですが、通勤前の女性が、まるで日本の若者がハンバーガーを食べるように、焼いた厚揚げのようなものを食べていました。かたや高脂肪、高エネルギーの短命食、かたや高たんぱく、低エネルギーの長寿食。若い女性のこれからの健康寿命を考えると、その落差を暗示する象徴的な光景といえそうです。

そして、市場に行っても、大豆やその加工品のバラエティの多さにびっくりしました。大豆をはじめとする豆類、干し豆腐や木綿豆腐、沖縄の豆腐ようのような発酵した豆腐、豆乳、豆腐を乾燥させたチーズ風の食品など枚挙にいとまがありません。

これだけ豊富に大豆加工品が勢ぞろいしているということは、おそらく日本の大豆を食べる文化のルーツの一つが、この地であったことを示しています。しかも、この地を訪れるまで日本のオリジナルだろうと思っていた糸引き納豆が、日本で食べているのとほとんど変わらない姿で並んでいるではありませんか。おそらく、糸引き納豆も大陸から伝わったものだったのでしょう。

日本・ネパール・インドネシアを結ぶ「納豆トライアングル」
納豆はネパールやインドネシアにもあった!
糸引き納豆は、日本独自に育まれてきた食品ですが、意外なことに朝鮮や中国を飛びこえて、ネパール、インドネシアにも似たように糸を引く大豆の発酵食品があります。ネパールのものは「キネマ」といい、煮豆を大型の葉で、インドネシアでは「テンペ」といい、煮豆をバナナの葉で包んで発酵させたものです。

日本、ネパール、インドネシアの三か所を結ぶと、大きな三角形が描けます。つまりは「納豆トライアングル」ができるのです。 日本の納豆、キネマ、テンペの共通点は、塩を使わずに発酵させていることです。その点で、みそやしょうゆのように、塩を用いる有塩発酵とは違っています。おもにみそが使われているのは、中国、朝鮮、日本ですから、納豆トラアングルは、みそ文化圏とはずいぶん異なっているわけです。

みそのほうは、国と国との交流によって伝播していったことが考えられますが、納豆のほうは、各地で独自に発生したのではないかと推測されています。というのも、日本の納豆は納豆菌による発酵ですが、キネマは枯草菌、テンペはクモノスカビという細菌といった具合に、それぞれ発酵させる微生物が違っているからです。

日本の納豆がわらと密着した生活から生まれたように、ネパールやインドネシアでも、身近にあった植物に生息する微生物によって、長い歴史の間に育まれていったのだろうと思われます。 とはいっても、アジアの大豆食文化圏という大きな共通点があってそこには違いありません。

アメリカで健康食品として注目されるテンペ
テンペは納豆に似ているといっても、外見や味はずいぶん違います。チーズのように白い菌糸で包まれた硬いもので、味はたいへん淡白です。

そのまま食べるのではなく、薄く切って揚げたり、細かく砕いてスープに入れるなど、惣菜の材料として用いられています。 テンペはほとんど品質が変わらずに数か月間も貯蔵できるのが大きな特徴です。大豆のリノール酸は酸化しやすいのですが、テンペは酸化に対抗する力がたいへん強いためと考えられます。

このテンペは、栄養価が高く、貯蔵性がよい、そして淡白な味なので、大豆の発酵食品の味に慣れていない人にも親しみやすいものです。そうした点が受けたのでしょう、アメリカで健康食品として注目され、消費が急速に伸びているということです。

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