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1.北海道・東北

カラフルな「豆腐かまぼこ」(秋田)
主に秋田県の内陸部で作られており、別名「豆腐まき」とも呼ばれています。 水切りした豆腐に砂糖、塩で味つけして裏ごしし、昆布を中央にはさんで巻いた後、2時間かけて蒸し上げます。

しっかりと砂糖などで味つけされているので、かまぼこというよりも「だて巻」風の味わいです。赤、青、緑と力ラフルな色をつけてあるものも多く、おめでたいものとして祝儀用にも用いられています。くるみやごま、白身魚のすり身を混ぜたものもあります。

花かつおの代わりに使われた「六浄豆腐」(山形)
削り節状になったユニークな豆腐です。食塩を塗って豆腐から水分を抜き切ったものを乾燥させ、薄く削ります。出羽三山に参拝する行者たちの精進料理で使われてきたといわれています。現在は山形県・西村山郡の六浄本舗ただ1軒でしか作られていません。塩分があるので、お湯か熱湯で一度戻して、吸い物や酢の物、また麺類やすき焼きなどに入れてもおいしく食べられます。あっさりした淡泊な味わいが上品でいいです。

お国によって入れものも変わる「つと豆腐」(福島・茨械)
福島県の「つと豆腐」は豆腐を竹づと(竹すだれ)に入れて、糸でグルグルと巻いて水分を抜き、身を締めてから熱湯で加熱したものです。 茨城県にある「こも豆腐」も同様に作られ、竹づとか、わらづと、もしくは菰(こも) で包まれています。どちらも保存性が高く、水分が少ないため煮物などに用いられています。

燻香がたまらない「くんせい豆腐」(岩手県)
固作りの豆腐を桜のチップなどで燻して作った豆腐です。燻した香りが食欲をそそる珍品で、ワイン、日本酒、ビールとどんなアルコールにもぴったりと合います。 冷蔵庫に保存すると半月ほどはもち、江戸時代には保存食として作られていたといわれています。

宮城県仙台市
御譜代豆腐 上村豆腐店
出来立ての豆腐を味わって欲しいから店頭売りにこだわる
杜の都・仙台で、伊達家の家紋をマークにした手作り豆腐で評判の店が上村豆腐屋だ。創業は明治12年、120年近く続く老舗である。

「うちは料理屋さんの関係に、お得意さんが随分多いんですが。ま、豆腐作りはどこも同じですけど、幸いなことに、ここは水がいい。井戸は2本で、153mの深い井戸も掘ってあるんです。うちの豆腐の評判がいいのは、この水にあると思うんですよ」(3代目・上村甚一さん)

実際の豆腐作りにおいて、代々受け継がれてきた「上村豆腐店」ならではのこだわりは、豆を水に浸ける前によく洗うことだという。水を3回ほど替えながら、豆を丹念に洗い、後にあらためて水に浸ける。

「よそはこんなことしないと思うんですが、これはコメをとぐのと一緒で。コメは最初洗った段階で80%の水を吸収するでしょう。うちが豆を洗うのも同じ理屈。気持ちを込めてきれいに洗ってやって、水をたっぷり吸わせてやる。昔からそうしてきたし、私もそれが豆にとって最もいいんだと信じてるんです」
もうひとつのこだわりは、あくまで店売りに徹することだ。

「よく送って欲しいと頼まれるんですが、お断りしてるんですよ。豆腐は作って3~4時間のうちがいちばんおいしい。 少なくとも、その日のうちに食べてもらいたい。買って帰って、冷蔵庫に入れるのも本当はして欲しくないくらいで。だから、うちは店売りだけ。その点は絶対にこだわっていきたいんです」

宮城県松島町
青豆豆腐 JA松島
三陸特産青畑豆が原料、香りもコクも栄養も一枚上手
ほんのり薄緑色をした木綿豆腐がある。原料は100%地元産の青畑豆。大豆の一品種で粒が大きく、完熟しても青みが消えないので、煮豆などにして料理の色添えに好まれる。 ただ、収穫量が少なく、手に入りにくいため、高級品となっている豆だ。

その青豆豆腐を製造・販売しているのは、宮城県鳴瀬町の『上下堤生活改善クラブ」(代表土井きよゑ氏)の主婦たち7人。

そもそものきっかけは、減反政策で転作作物の大豆をうまく利用しようと始まったもの。 その後、県の「特産の郷づくり推進事業」の指定を受け、普通の大豆で作った木綿豆腐は、「なるせ小町」のブランドですでに町内外に出回っている。 高級志向の青豆豆腐は、旨みのある甘さが持ち味。

豆腐博士の異名を持つ東北大学農学部の大久保一良教授によると、青畑豆は普通の大豆よりショ糖が多い。それに、善玉のビフィズス菌の働きを活発にさせるオリゴ糖も多く含まれているという。「いくら高くてもいいから頒けてほしいというお年寄りや病人の方もおられます」(土井氏)

枝豆のような香りが、またすがすがしい。豆乳も甘みがあり、飲みやすい。作る際に手こずった色ムラ、形の崩れなどは本職の指導を受けながら、技術を習得。固めるのも昔ながらの本ニガリを採用し、さらに品質の向上を目指している。 「農繁期のせわしい時期も、チームワークで乗り切ろう」と前向きだ。 料亭などの固定ファンも多いという青豆豆腐、一度試されたい。
 
山形県山形市
古里の山水 仁藤商店
県産大豆と蔵王山系の水で作る美味しい豆腐に醤油はいらない
山形市にある仁藤商店は大正3年の創業だ。その3代目の仁藤脅さんは、15年前、東北大学の教授の実験に付き合って、牧草で豆腐を作った経験がある。

「牧草でも豆腐ができるという実験ですが、たしかに蛋白は含まれてるんですね。その代わり、あのときは1丁の豆腐を作るのに牧草を2トンも使った。それが契機で、豆腐って何だろうかって疑問が出てきて。おいしい豆腐とは何か、究極の豆腐とは何かと悩み始めたんですよ」その疑問を突き詰め、試行錯誤した結果が、10年前から作り出した木綿豆腐「古里の山水」だ。蛋白分の多い大豆で高濃度の豆乳をとり、海水ニガリで固めた自信作である。

「普通、豆腐に醤油をかけて食べるでしょう。でも、私がたどり着いた結論は、おいしい豆腐に醤油は要らないということ。もともと豆腐は海水のニガリで作るわけですからね。昔の豆腐はそうだったんですよ」 加えて、先ごろはプロの作るできたてのおいしい豆腐が、家庭でも簡単にできる「とうふの素」も完成。これこそ仁藤さんが長く追い求めてきた究極の豆腐だという。

埼玉県本庄市
只管豆腐 もぎ豆腐店
とけるような舌触りとほのかな甘さを持った上品にして繊細な逸品 埼玉県本庄市の「もぎ豆腐店」が豆腐作りに懸ける信条は、常に手に入る限りで最高の素材を探して使うことだという。それを端的に物語るエピソードがある。

一時期、どうしても欲しい国産大豆が急騰、このままでは休業もやむなしの事態になった。そのときはいつもの倍値にはね上がった大豆2000俵をあえて購入。あくまで品質を落とさずに製造を続け、急場を切り抜けたというから凄まじい。

「ある意味で賭けみたいなものだったんですが、幸い、その2000俵を使い切る前に新しい大豆が入ってきた。おかげで休業しないで済みました」(製造部長・瓦本竜一さん)今、使っている大豆は自然農法にこだわる農家に栽培を依頼した国産の極上品。水は地下200mの深井戸から汲み上げる。ニガリは伊豆大島で自然の塩作りをする過程でとれる海水ニガリだ。また、豆腐作りの現場では消泡剤などは使わない。

「もぎ豆腐店の各種の豆腐は、そうしたこだわりのなかで作られるが、なかでも現時点での最高傑作ともいえるものに「只管豆腐」がある。 「海水ニガリの原液を使って豆腐を作るところまでは同じですが、そこから通常の木綿豆腐はプレス機にかけて水切りをして、熱いうちにパックをする。ですが、この豆腐はゆっくり時間をかけて自然脱水をさせるんですね。その上で、しばらく水にさらす。つまり、うま味は逃がさないようにしながら、ニガリの持つえぐみを抜くわけなんですよ」

一度、水に放すとパックも機械にはかからず手作業になる。が、この木綿豆腐の仕上がりはかなりソフトだから、よほど丁寧に扱わないと壊れてしまう。それだけ時間も手間も増えるが、とけるような舌触りのなかにほのかな甘さを持つ、きわめて上品にして繊細な豆腐である。 なお、この只管豆腐の名は、以前から親交の深い高崎の少林山達磨寺の住職が、ひたすら探し求めてたどり着いたという意味の禅語から命名したものだという。

埼玉県川越市
仙波豆腐 小野食品
山間部で採れる希少大豆を使う濃厚な味わいの「なごり雪」
川越市仙波町の小野食品は小野宗澄さんと哲郎さんの親子が昭和54年に創業。歴史はまだ浅いが「大豆を専門に扱う問屋勤めから一転、好きで豆腐屋を始めた」という、宗澄さんは原料を見る目には絶対の自信を持つ人だ。しかも、その買い付けには息子の哲郎さんがいつも産地まで直に足を運んで吟味、豆にかける費用は惜しまないというから徹底している。

「これまで産地別に何百という豆を試してきましたけど、今、うちが使っているのは、同じ国産大豆でも平地のものではなくて、山間部で採れる糖度のより高いもの。それも、入手困難な希少品種になるほど、豆腐にするといい豆があるんですよ。それで、うちの場合は豆乳をこれ以上はないくらい濃くとる。濃度でいうと15度以上で、当然、ニガリの合わせ方もそれだけ難しくなるわけなんですが、味は濃厚です。だから、冷えると固形になるくらい、とろみのすごい豆乳をあえて使うようにしてるんですよ」(小野哲郎さん)

そんな高濃度の豆乳に本ニガリを含ませ、そのまま大ザルに盛りつけたのが、自信作「なごり雪」。ネーミング通り、溶けるような舌触りのなかに素晴らしく濃厚な味わいを持つ豆腐の極上品だ。 もとより、豆腐作りに欠かせない水にもこだわりがある。この川越市仙波町の一帯は秩父の山中に降った雨水が地層を潜って湧き出す地点にあたっていて、昔も今も井戸水には恵まれている。それに加えて、「小野食品」では、ここ数年来、秩父の源流から汲み上げたミネラルウォーターをタンクで買って、豆を破く際の水に使っているという。

2.関東

地方名物と豆腐が一緒になった「梅豆腐」(茨城)
茨城の特産品である梅を使って開発された豆腐です。水抜きした豆腐を梅酢の中に漬けてあります。

日本橋人形町で人気の「丸篭豆腐」(東京)
創業明治40年の老舗「双葉」では、直径10cmほどのざるに入れて固めた丸篭豆腐があります。豆本来の自然な甘さが味わえます。


精進料理から生まれた「灰干し豆腐」(東京)
東京・小金井の三光院のなどで味わえます。布で包んだ豆腐を灰でおおい押しをして一夜おいて作られます。「しめおかべ」とも呼びます。

ですよ」(笑) その『藤屋』2代目・高橋敬氏は「昔流の豆腐作り」にこだわり続ける。木桶を使って、豆乳に本ニガリを混ぜる。おぼろを寄せるのも昔ながらの木の型箱である。 「この箱1個で60丁分。これ、いっぱいにおぼろを汲んで、上から下まで同じ固さにしなくちゃいけないし、いちいち洗う手間も大変なんですけどね。でも、木はゆっくり冷めるから具合がいい。それに、金属の箱みたいに、中で豆腐がグウっと動くこともない。やっぱり昔流の豆腐には 木がいちばんなんですよ」 木の桶や型箱は、すべて特注品だが、先々のためにいくつも予備を用意してあるという。 出来た豆腐は井戸水ごとパックするが、これも高橋氏の味へのこだわりから生まれたもの。そんな「藤屋」の地下水仕込みの豆腐はもとより絶品。食べていつまでも飽きがこないと、もっぱらの評判だ。

東京都台東区
おぼろ豆腐 武蔵屋豆腐店
遠方からの常連も多い、出来たてのおぼろ豆腐
大正12年創業の武蔵屋豆腐店は、日暮里駅に近い、谷中銀座商店街のなかほどにある。 「うちの豆腐がよそと違うのは、国産大豆をたっぷり使い、それを天然の塩田ニガリで固めているせいでしょうね。水もいいものを使っていますしね」(3代目・杉田浩氏)

とくに工夫を凝らしているのは水である。もともと、この一帯は地層のせいで井戸水の質がよくないらしい。そのため、石垣島の珊瑚礁の砂を取り寄せ、水道水をろ過することによって、カルキ臭を消し、ミネラル分がたっぷり溶けた旨い水を作って使用する。

そんな『武蔵屋豆腐店』の自慢の逸品といえるのが、ニガリを加えて固まりかけた豆乳を、そのまま器に寄せるおぼろ豆腐。やわらかく滑らかな舌ざわりのなかに広がる、その豊かな風味とコクは、まず普通の豆腐では味わえないものだ。「うちはいろんな豆腐を作ってますので、すべて揃うのは11時頃になるんですが、毎朝6時には、このおぼろ豆腐が出来るのを待って、遠くから常連さんが来てくれるんです」また、同じ木綿豆腐でも「固め」「やわらかめ」「ふつう」の3種を用意。夏場には柚子豆腐、紫蘇豆腐、芥子豆腐などが並ぶ。その売り方のキメの細かさも嬉しい。

東京都武蔵野市
青豆豆腐 美濃屋豆腐店
季節ごとの最良の大豆を吟味して使う
秋田、宮城、福島名産の青大豆が原料。中でも宮城県の「青畑豆」がポピュラーです。完熟しても青みが消えず、善玉ビフィズス菌の働きを活発にさせるオリゴ糖も多く含んでいます。

美濃屋豆腐店の加納光昭氏が手作りする豆腐は国産大豆90%。それも季節ごとに、より質のいい大豆を探して使用する。もちろん本ニガリを使い、水は地下水である。

うちは豆乳を濃くして使いますので、お豆腐が水っぽくなくてコクがありますよ。結局、豆腐屋は能書きじゃなくて、自分が作る味をお客さんに気に入ってもらえるかどうか、それだけですね。

店を開けるのは、午前10時。もちろん、早朝から開けることもできるが、あえてそうしない。これも味へのこだわりからだ。 「熱い豆腐をいきなり冷蔵庫に入れたりすると、酸っぱさが出る。それに、豆腐は作ってからニガリを出すために、数時間おいたほうがいいんです。だから、うちは10時開店にしてるんです。それから4~5時間がいちばん美味しいんですよ」 毎週土曜日には、宮城産の青畑豆で作る青豆豆腐も並ぶ。そして、夏には国産の特選大豆100%の豆腐も作るという。

東京都杉並区
ジーマミー豆腐 ガジュマル
南京豆のコクと粘りを賞味
沖縄にはジーマミー豆腐と呼ばれるものがある。原料は大豆ならぬ南京豆で、ニガリを使わずに芋の澱粉質で固めた豆腐だ。 「なまの南京豆をミキサーにかけて砕いてから、お鍋で煮る。そのときに芋くず、つまり澱粉を混ぜて、ある程度の粘りが出てきたら、流し箱に移して固めるんです」 この豆腐はキメ細かな質感と粘りのなかに独特のコクを持つ。

東京都青梅市
岩清水豆腐 ままごと屋
蔵元が酒の仕込み水で丹精する岩清水豆腐 東京都青梅市津井の『小澤酒造』は、元禄年間から300年を重ねる蔵元だ。 この蔵元が、本業の傍ら、酒の仕込み水を使って豆腐を手作りし始めたのは20年ほど前からである。 「ここを訪れるお客さまに、お酒を美味しく飲んでいただくために何か料理を出そうというのがきっかけだったんです。で、酒の仕込み水を生かして、旨いお豆腐を作ろう、それならお酒の味もいっそう引き立つだろうと」(小津順一郎社長) もちろん、水だけでは旨い豆腐はできない。大豆は手に入る限り、国産のエンレイ種。本ニガリにこだわって作り続けてきたという。 本業の酒造りにも負けない情熱を傾けた、その豆腐料理は敷地内の直営料亭「ままごと屋」で味わえる。

3.中部

縄でしばって持ち運べるほど頑強な「固豆腐」(服車・富山)
通常の2倍のニガリを入れて作られる固豆腐は、合掌造りの家で知られる岐車・白川郷や富山の五箇山などで古くから自家製で作られてきた豆腐です。しっかりした歯ごたえがあり、石よりも固いとされていることから「石割り豆腐」の別名も持っています。 豆腐を串にさして味噌をつけた焼き豆腐や、味がよくしみるため、煮つけにしてもおいしいです。


凍り豆腐にもいろいろあった
凍り豆腐は、信州では「しみ豆腐」と呼ばれます。昭和の初期くらいまでは、信州の農家では昔ながらのしみ豆腐が作られていました。豆腐を薄く切ってすのこに並べ、屋外で凍らせ、これをわらひもでゆわいて軒先などにつるし、日に干して作っていたのです。この製法は、長野から岐阜、東北地方、北海道にまで伝わり、東北では「連豆腐」とも呼ばれています。 同じ凍り豆腐でも、高野山の僧が製法を確立したといわれる「高野豆腐」は、最初こそしみ豆腐と同じようなものだったと思われますが、後に改良が加わって「高野式」と呼ばれるようになっています。凍結した豆腐をすぐに日干しにするのではなく、凍結状態のまま数日間、母屋で保存して熟成させ、その後乾燥させます。乾燥の仕方も、日干しではなく、火力になってきました。 このように、凍り豆腐は、関西を中心とした「高野豆腐」と、信州から東北、北海道の「しみ豆腐」という二つの流れがあったわけです。ただ昭和に入ってから長野では、人工凍結法を取り入れていち早く大量生産に踏み切り、現在では全国生産量の95パーセントを占めるまでになっています。

岐阜県大野郡白川村
石割豆腐 鈴口豆腐店
昔から人生の節目に必ず登場した縄で持ち運べる6kgの固豆腐
合掌造りの里で知られる岐阜県白川郷と固豆腐のつながりは古い。歴史を遡れば、おそらく300年以上の昔から、各家で固豆腐を作っていたと伝えられる。戦前まで民家で活躍していた木製の豆腐箱が、今の生活資料館に保存されている。

かつて縄で持ち運んだという固豆腐。その昔、村人が石につまずいてケガをした。が、持っていた豆腐は転がったものの、無傷ですんだ。石の上に落とすと、石のほうが割れてしまうくらい固いという例えから、石割り豆腐ともいう。

かかえ上げるほど大きな豆腐は、重さにして約6kg。普通の豆腐1丁が約400gとして、15丁分である。鈴口豆腐店のご主人・鈴口康彦氏日く、「国産大豆でないと、作られんのや。大豆の成分が違うんかな。輸入ものだと形は一応できても、縄で吊そうとすると崩れ落ちてしまう」固い豆腐にするには、ニガリを通常の約2倍に。が、入れ過ぎると、カスカスして出来上がりも小さくなってしまう。ニガリを打つときのタイミングも違う。その塩梅は、やはり経験がモノをいう。

「それに木製の型箱でないと、いい頃合に固まらない」と奥さんの清江さん。同店ではヒノキで作った一級品を20年間使い続けている。

また、普通の豆腐より凝縮されるから、約1.5倍の大豆が必要。そのためか、口の中で大豆の香ばしさが広がる。固いのに、決してボソボソしていない。歯ごたえがあって、実に旨い。豆腐に含まれる水分は普通の豆腐で90%近く、固豆腐では80%前後だという。 型箱から抜かれ、まな板の上にどっかりと座った固豆腐は圧倒されるほどの存在感を持つ。

浄土真宗の信仰が篤いこの土地では、親驚聖人や先祖への感謝の気持ちを表わす報恩講や結婚式など、大勢の人が寄るハレの席では、今でも固豆腐で作った料理が何品も並ぶしきたりが残る。 1丁サイズに切らず塊のままで納品されるのは、料理に応じて自由自在の大きさにすればよいからだ。村の人たちは「いろりを囲んで食べる焼き豆腐、あれはたまらん」と口をそろえる。余ったのを煮つけにしても、味がよくしみて旨いらしい。

4.近畿

京都府京都市
京豆腐 とようけ屋山本
豆の浸水時間を見極め昔ながらの手技で作るふわっと柔らかい豆腐
「芸者と豆腐は固うては売れん」 京都には、そんな諺もあるくらいで、固い豆腐は歓迎されない。どこまでもふわっと柔らかい、それがいわゆる京豆腐というものらしい。

北野天満宮と地続きの下の森商店街にある『とようけ屋山本』は、京豆腐ひと筋に100年という老舗だ。 当主の山本久仁佳さんのこだわりは、おいしい京豆腐をあくまで手技の妙で作ることにある。

「今は機械製法で何でも楽にできるようになりましたけど、豆腐職人としては誰でもできる方法じゃ面白くない。手作りでは難しいといわれるニガリの絹ごし豆腐にしても、自分たちの技でおいしく作ってみせたいし、また、それはニガリの打ち方ひとつでできることなんですわ」

そのニガリの打ち方に独自の技がある。普通、ニガリを打つのは一度きりだが、ここでは間を置いて、再度ニガリを打っていくのである。 「これは腰掛け苦汁といいましてね、一度打ったら、腰掛けて一服して待てと、そう古い文献にもあるんです。いっぺんに凝固させずに、間を置いて、二度三度とニガリを打つことで、まるで雲のようなふわっとした豆腐ができるんです」

さて、豆腐作りは豆を水に浸けることから始まるが、その浸水時間に山本さんは最も気を遣うという。「豆が水に浸かりきった瞬間に使ってこそ、おいしい豆腐ができる。浸かりきらんと豆の香りが出ないし、過ぎると腐りかける。浸かる時間は季節はもちろん、その日の天候や豆の性質で違ってくる。それを仕事の手順から逆算して、ぴったり浸かるようにもっていく、これが豆腐作りではいちばん肝心なことなんです」

京都府京都市
京の贅沢 京乃雪本舗
なによりも安全性を重視して生まれた高品質のハイテク豆腐
人の手を一切触れない、マイコン制御の豆腐作りに徹しているのが大正13年創業の京乃雪本舗だ。

もとより、それは単なる量産を意図しての仕儀ではない。3代目の漬野好信さんはいう。 「私が30年前に家業を継いだときはもちろん手作りでした。でも、手作りはものすごくいいものができるかわりに、逆もある。日本は四季の変化が大きいから、どうしてもムラが出てくる。ひとつには、それをなくしたいということ。また、豆腐は食品ですから、より安全でなければいけない。そうすると、極力、手は触れないほうがいい。そこから出発して試行錯誤を重ねた結果が、現在のハイテク導入なんですよ」

常に高品質にして安全な豆腐作りを目指す、そのために横野さんが重視したのは自身が長く培ってきた手技のデータだ。それを個々の製品ごとにきめ細かくコンピュータに入力することでハイテク豆腐は誕生をみた。その試行錯誤が始まったのは15年ほど前からだが、本当に納得のいく設備が整うまでには、10年を超える歳月を要したという。

「おかげで、今は製品のムラは完全になくなったし、そういう意味では私が手作りしていた時代より、むしろレベルは高い。それに、お客さまに安全な豆腐をお届けするという点では、絶対の自信を持ってます」 ここでは製薬会社と契約、毎日でき上がった豆腐の微生物検査も欠かさないというから、その安全性へのこだわりは徹底している。

京都府京都市
昔どうふ 奥丹
ニガリから完全手作り創業350年の老舗の湯豆腐は1日30丁限定
京名物の湯豆腐料理で有名な「総本家ゆどうふ奥丹」は、南禅寺境内に江戸初期の創業以来350年という古い歴史を誇る老舗である。 その清水店で、豆腐が日本に伝来した当時のままの完全な手作りにこだわった豆腐を味わえるという。それが「昔どうふ」だ。

「通常の豆腐も自家製ですが、この豆腐の場合は往時の手仕事を忠実になぞって作ります。豆を石臼でひいて釜で炊き、豆乳を搾るのもニガリを打つのもすべて昔どおりなんですよ」(石井塵きん)昔どうふの原料に使う豆は、滋賀県志賀町の農家に契約栽培を依頼した無農薬大豆で、灌漑用の水は比良山麓から湧く井戸水である。

「だから、本当に質のいい大豆が手に入りますし、実際の豆腐作りに使う水も、その比良山麓の井戸水をここまで運んできてるんです。もっといえば、ニガリもここで作ります。 むしろ天然の粗塩をむしろにくるんで吊り下げて置くと、空気中の水分との潮解作用によってニガリができます。それを使っているんですよ」 そんなこだわりが生んだ昔どうふは1日30丁限定。清水店で供する湯豆腐や田楽に使われる。

「最初から最後まで手間のかかる手仕事ですから、とても数はできません。でも、これは昔のままの豆腐作りの本当の姿を残しておきたい、そんな思いで、30年前から始めたものなんですよ。もちろん、値段的にも引き合うものではありませんが、ひとつの文化として伝え残せれば、それでいいと思っているんです

京都府京都市
賀茂どうふ 近喜
京の有名料亭も上得意天保5年創業の老舗は豆乳濃度の高さが自慢
人がすれ違うのがやっとの木屋町四条の細い路地、ここに天保5年(1834)創業の近喜がある。 160年を超える老舗の暖簾を守る6代目が、林浩二さんだ。

「豆腐の味を決めるのは豆乳なんですが、まず濃度が高くなくちゃダメです。うちは13から15度(※)の、うんと濃いものを使いますけども、そこで大事になるのが炊き方。せっかくいい大豆を使っても、炊いたときにどろついたら終わりです。きれいに炊いて、さらっとした甘味のある豆乳を作る。普通、豆乳が濃いとニガリが合わせにくいんです。それが怖いから、うすめて使うことが多いんですが、要は炊き方なんですよ」

ここのニガリの合わせ方は打ち込みと称するもの。桶の中にニガリを先に仕込み、豆乳を一気に流し込んで固めていく手法である。 「使う太豆の種類や状態で、豆乳の温度やニガリの量は微妙に変えますけども、この打ち込みだと短時間できれいに固まる。ただし、これも豆乳が濃いからこそ有効なんです」

現在、「近喜」の豆腐は注文生産がほとんどだ。それも、有名どころの料亭を始め、味にうるさい顧客が大半を占めるという。林さんはその注文にきめ細かく対応する。 それぞれの予約時間に間に合うよう、種類を変えた豆腐作りを、それこそ分刻みで続けていくのである。 「忙しくて、まず昼ご飯は食べられない。でも、うちはちょっとした味の変化にも敏感なお客さんが多いから、気は抜けないんですよ」
※大量生産の豆腐だと豆乳農度は9~10度、ニガリを使う場合でも12度程度が標準といわれている。

京都府京都市
嵯峨豆腐 森嘉
石臼でひき、薪と地釜で煮る。京の風味を守る老舗の味
京都は嵯峨の釈迦堂前に安政年間(1854~1860)から5代を数える森嘉は、今も石臼で大豆をひき、その豆汁(呉)を、薪を焚いて地釜で煮ることを頑に守り続けている。 5代目・森井源一氏がいう。

「なんといっても、豆汁を地釜で炊くというのが豆腐作りの基本ですからね。ただ、地釜はちょっと油断すると、焦げついてしまう。その寸前を見極める、そうすると、豆の持っている本来の風味、香ばしさがお豆腐に移って、いちばん美味しい状態に仕上がるんです」

地釜の焦げつきを極力なくすためにも、大豆は石臼でひき潰したほうがいいらしい。 「豆汁の粒子が釜に沈んだり、周りにくっついたりすると、どうしても焦げつきやすくなる。その点、石臼でひくと、擂れてる粒子にふたつと同じものがないですから、繊維が絡み合って釜に浮くんですね」

一時期、森嘉も作業の能率を考えて、グラインダーで擂り、ボイラーで炊く方法を採用した。が、豆腐の出来にもう一歩納得がいかず、また石臼と地釜にもどしたのだ。 今、原料の大豆は滋賀県産のものを吟味して使っている。

「ただ、国産大豆はなかなか同品質のものが揃わない。ですから、一部、輸入大豆も混ぜてますが、幸い水については嵯峨は昔からいいですからね。あとは、それを取り持つわれわれの技術の問題だと思います」

その森井氏の朝の食卓には豆腐の味噌汁がつきものだ。その日作った豆腐の出来具合を、自らの舌でたしかめるためである。 「お豆腐というのは、毎日同じように作っても、微妙に出来が違ってくるんですね。それで味をみて、ここはちょっとなおさなきゃいけないなとか。だから、うちは店を開けているかぎりは、365日、決まって豆腐の味噌汁なんですよ」 森井氏の祖父の代の頃は、毎日、天龍寺の管長に豆腐を届けて「旨いですか」、そう尋ねてはまた豆腐作りに励んだものだという。

京都府宇治市
豆腐羹 松本老舗
明の隠元禅師が伝えた醤油に浸して仕上げる不思議な食味の豆腐羹
角がなく丸みを帯び、表面にうす茶色の照りを持った豆腐羹と呼ばれる不思議な豆腐が宇治市にある。 350年前に来朝した明の隠元禅師が、普茶料理(禅宗の精進料理)とともに伝えたといわれるものだ。

その隠元禅師を開祖とする宇治市黄葉山万福寺の門前で、10数代にわたって豆腐羹を作り続けてきたのが松本老舗である。 「ひとことでいえば、醤油に浸けた豆腐なんです。まず豆腐を作って、熱い醤油に浸して2時間。で、最後にひと煮立ちさせる。豆をひくことから始めて豆腐羹ができ上がるまで約10時間かかる。うちは豆腐羹しか作りませんが、本当に手間がかかるんですよ」(当主・大星裕行さん)

豆腐の作り方もやや変則的だ。普通、豆腐は固めてから水を切り、最後に包丁で切り分ける。が、豆腐羹は12の枡目を持った枠と呼ぶ箱に豆腐を流し込み、最初から小分けした状態で固めていくのである。 「重要なのは水切りで、平均2時間かけて、ゆっくりと水を切る。すると99%水が切れてもパサパサせず、しっとり感が残るんですよ」その不思議な食味は、植物性のチーズとでもいえばいいだろうか。

奈良県生駒市
ひろうす 住吉屋
生駒聖天宝山寺の門前町で70年ひろうすは創業以来の自信作
関西で生駒の豆腐屋、あるいは生駒のひろうす屋の名でもっぱら親しまれているのが、近鉄奈良線の生駒駅前にある『住古屋』だ。

「うちの豆腐作りは〈味がないようで味があり、平凡に見えて非凡〉というのがモットーなんです。そのためのこだわりはいろいろあるんですが、最も気を遣うのは豆乳濃度。12から13の数字をきっちりと守る。これ以下だと水臭い、高いと豆臭い。とくにうちは、固定ファンで成り立っているようなものですから、豆腐作りの基本になる豆乳濃度をおろそかにはできないんです」(代表取締役・吉水一郎さん)

今、住吉屋にはニガリ100%の絹や木綿豆腐を始め、青大豆の豆腐など平凡に見えて非凡な豆腐が揃っているが、実はなによりも自慢したいのが「ひろうす」だそう。 「うちの創業は昭和5年ですが、もともとはひろうす屋としてスタートしたんです。この生駒は商売繁盛の神さまで有名な生駒聖天宝山寺の門前町で、その参拝客にひろうすを商ってきた。

だから、とくに思い入れもあるし、自信もあるんです」 ひろうすは漢字では「飛竜頭」(ひりょうずとも読む)と書くが、これはつぶした豆腐に具を入れて丸め、油で揚げたもの。つまりはガンモドキのことだ。 「普通、ひろうすのつなぎにはサクサクした長芋を使うんですが、これだと、煮炊きする際に味が染みやすい。でも、うちの場合はもっとどろっと粘りのある山の芋を使いますので、でき上がりが非常に固い。おでんのように他の材料と一緒に炊くのには不向きですが、ひろうすだけを炊いて食べたら、ほかとは比べものにならないおいしさなんですよ」

兵庫県今田町
黒豆豆腐 小林食品
黒豆のコクと丹波の水を生かした、滑らかな舌ざわり
丹波の黒豆は、ふっくらと厚みがあって、粒が大きい。その黒豆を使って、地元の今田町にある小林食品が、淡くグレーがかった滑らかなツヤを持つ黒豆豆腐を作り始めたのは10年前からである。

「全国いろんなところの黒豆でも試してみたんやけど、やっぱり丹波の黒豆がいちばんですわ。まるで味が違います」(小林正幸専務) 丹波特有の自然条件から作り出される良質の黒豆に加えて、この山里は水にも恵まれている。その証拠に、丹波の地では早くから酒造りが盛んになり、江戸の一時期には灘にも匹敵する隆盛を誇ったほどだ。

また、もともと今田町一帯は冬の厳しい冷え込みを利用して作る高野豆腐の産地としても知られる。小林食品も以前は高野豆腐を専門に作っていたという。 「今、うちで作っているのは容器の中で固める充填豆腐なんです。普通、熱い豆乳にニガリを入れて固めるわけですけど、うちは一旦冷やして固まらないようにします。その状態でパックしてから、お湯の中に浸けて凝固させるんですわ」

一般に、手作りの豆腐に比べて大量生産の充填豆腐はまずいといわれる。それは大半の充填豆腐が化学的な凝固剤を使うせいらしい。 「その点、うちは原料も水もいい上に、海水から塩を作る際にとれる塩化マグネシウムを主成分にしたニガリだけでやってますから非常に美味しい。それに、パックしてからお湯に浸けて凝固させる時点で殺菌もされますから、日持ちもする。しかも、水に浸けないから黒豆の風味が抜けないんですよ」 実際、この丹波の黒豆豆腐は滑らかな舌ざわりのなかに、黒豆ならではのコクと風味が生きている。

5.中国・四国

海草から作る「いぎす豆腐」(愛媛)
今治・越智郡で多く採れる「いぎす」という海草と大豆の粉で作った豆腐です。夏の味覚として地元では古くから親しまれています。 天日で乾燥させたいぎすを煮て、生の大豆粉を加えて固めたもので、海草と大豆の栄養がたっぷり含まれています。のど越しのよさと、ほのかに香る磯の香りが食欲をそそります。

岡山県総社市
玉豆腐 山神食品
なめらかな食感とコクが自慢の丸い名物豆腐は江戸の昔が起源
豆腐は四角いものと相場が決まっているが、岡山県総社市には「玉豆富」の名で呼ばれる丸い名物豆腐がある。それも、ごく最近になって登場したわけではなく、江戸の昔からすでに在ったものだという。

そんな玉豆富を、昭和2年の創業時から手がけ、一躍、総社の名物に仕立てたのが「山神食品」だ。 「玉豆富というのは、もともとは総社のお城の御用豆腐で、それが一般にも出てくるのは明治の末頃からなんですね。

うちの親父は豆腐屋を始めるとき、その製法を教わって、さらに研究を重ねて完成させた。ま、絹豆腐を丸くしたものと思ってもらえばいいんですが、食感はきわめてなめらかで、絹よりも、もう少し締まりというか、粘りがある。味としては豆腐のコクを生かしながら、なおえぐみや残さないことが大切なんですよ」(2代目・山神恵介さん)

現在、『山神食品』が作る豆腐はコンピュータ制御の機械製造がもっぱらの主流だが、この玉豆富だけは創業以来の伝統的な手仕事に終始する。 その際は、掌に隠れるくらいの小さな銅の器が使われる。ニガリを打って固まり始めた豆乳を、件の器で次々と掬っては茶碗に受け、さらに水に放していくのである。

「これ、豆腐がどろどろのうちに掬っても流れてしまうし、固まってからでは形を整えるのが難しい。そのタイミングを見極めながら、一気呵成に勝負するんです。それに、豆腐に傷があると、もう玉豆富とはいえませんから、そのつど掬いとる豆腐の表面をきれいに掻いて均す。だから、手間ばかりかかる仕事なんです。 でも、やめるわけにはいかない。親父が残した看板商品だしこの総社の名物豆腐ですからね」

鳥取県鳥取市
豆腐ちくわ ちむら
豆腐に重石をかけて自然脱水魚のすり身を混ぜて蒸し上げる
古くから鳥取市の名産のひとつとして知られるものに、豆腐に魚のすり身を混ぜて蒸し上げた豆腐ちくわがある。魚肉の代わりに豆腐を使った、この風変わりな竹輪は、江戸中期、質素倹約を旨とする因幡藩の殿さまのお声がかりで生まれたものだと伝えられるが、さて。

慶応年間(1865~68)から続く『ちむら』は、その豆腐ちくわの製造をもっぱらにする老舗である。 「豆腐ちくわは、なによりも豆腐の特徴が生きてないと意味がないんですよ。つまり豆腐の風味が感じられて、食感はきわめてソフトであること。当然、つなぎに使うすり身は淡泊なものじゃないと、豆腐の風味をそこねるので、うちではスケソウダラを使います。そして、豆腐7割に対してすり身は3割、豆腐の特徴を最もよく引き出すには、この比率で混ぜるのがいちばんなんです」(専務取締役・千村直美さん)

ベースになる豆腐は、『ちむら』直営の工房でニガリを使って手作りする極上の木綿豆腐だ。その豆腐を麻袋に入れて重石をかけ、より自然な形で水切りをしてから、すり身と混ぜ合わせていくのである。

この自然脱水の見極めが、豆腐ちくわの味を大きく左右する。水分が多いと、成形しにくいし、固く搾り過ぎると、でき上がったとき、豆腐ならではの柔らかさが失われる。 「作業的には、豆腐をうんと固くして、すり身を混ぜ、後から必要なだけ水を加えると楽なんですよ。でも、それでは、せっかくの豆腐が生きない。あくまで豆腐のうま味を含んだ適度な水分を保つ、それがうちの豆腐ちくわの製造上の大きなこだわりだといっていいですね」

山口県旭村
生搾りとうふ(ささなみ豆腐) 土山商店
古代からの伝統的製法豆汁を煮立てずに生のままで豆乳を搾る
山口県旭村は山間に750戸の家家が点在する小さな集落だが、江戸の昔は萩と三田尻を結ぶ街道、萩往還の宿場町として栄えた歴史を持っている。この地に江戸期から7代160年を重ねた土山商店は、創業以来変わらない生搾の伝統製法を今も伝える豆腐店だ。

士山隆幸さんがいう。 「今は大豆をすりつぶした豆汁を煮立ててから豆乳をとる煮搾りが一般的ですが、煮立てずに生のまま搾って豆乳をとるのが生搾り。これは豆腐が中国から初めて伝えられた頃の最も古い製法なんです」 つまりは豆乳をとる手順が逆になるわけだが、この違いは豆腐の味にどう影響するのだろうか。

「煮搾りは、大豆の皮や胚芽も一緒に煮出すので、豆腐に不必要な苦みやえぐみまでが豆乳に溶け出してしまう。その点、生搾りは先に不純物を取り除いて、純粋な豆乳だけを炊きますから、大豆が持つ本来の甘味が生きた豆腐ができるんです」 ただし、効率はきわめて悪い。煮搾りよりもはるかに多くの大豆が必要だし、手で搾るほかはなかった昔は大変な重労働だったという。

「今はプレス機があるので、ずいぶん楽になりましたけど、親父の代はテコの原理で体重をかけて搾っていた。それでも、なかなか汁が出なくて。孫を横に座らせたり、膝に抱いたりして搾ってましたね」 そんな伝統製法の生搾りで作った土山商店の木綿豆腐は、しっかりと固い。そのくせ、きめ細かく、しっとりとした舌触りを持つ。 「うちの豆腐は、年輩の方はもちろん、まだ言葉も話せない小さな子供が喜んで食べてくれるんですよ」

6.九州・沖縄

800年前からの保存食、「豆腐の味噌漬け」(熊本)
源氏の追手から逃れた平家の落人がタンパク源の補給のために考案したという豆腐の味噌漬けは、落人伝説で名高い熊本県八代郡泉村で、いまもなお作り続けられています。 水分を少な目に仕上げた豆腐をじっくりと焼き上げて、さらに水分をしっかりと抜きます。それを型くずれしないよう、ひとつひとつガーゼにくるんで納豆麹味噌に漬け込み、約半年寝かせます。途中、何度か漬けかえをして豆腐に味噌をじっくりとなじませています。

本来は長期保存用として作られていたので、もともと固くて塩辛いものでしたが、現在は納豆麹味噌のほんのりとした甘さが漂い、舌にとろけるようなまろやかな風味があります。これは豆腐のタンパク質が分解されることによって生じる独特な味わいで、「東洋のチーズ」とも呼ばれています。切ってそのまま酒のつまみとして味わうのがポピュラーな食べ方です。

泡盛と一緒に発酵させた「豆腐よう」 沖縄の珍昧のひとつ「豆腐よう」。豆腐を麹で発酵させたもので、従来の豆腐とはまったく異なります。チーズのような食感で、中国にある「腐乳」の沖縄版といわれるのも納得できるでしょう。 作り方は、沖縄独特の固めの豆腐を2cm角に切り、塩をまぶして蒸します。3~4日ほど陰干しして、豆腐の表面が茶褐色に変わって粘りが出できたら泡盛で洗い、麹を塗って自然発酵させます。

3、4力月目が食べごろになりますが、冷蔵庫に入れておけば1年間は持ち、長期保存も可能です。 そのまま酒の肴で味わうのがポピュラーですが、すりつぶして和え衣にしたり、味噌と混ぜてもおいしく食べられています。 ツンとした発酵臭に好き嫌いは分かれるが、たまらない風味があり、やみつきになる人が多いです。

汁物に使われる「ゆし豆腐」
「ゆし豆腐」とは、型に入れて成型させる前のやわらかい状態の豆腐です。 沖縄では「寄せ豆腐」のように生で食べることは少なく、味噌汁や吸い物などに用いられています。 だしと白味噌を合わせて、味噌汁ぐらいの味に整えたら、ゆし豆腐をたっぷりとだしの中に入れます。青ねぎを加えて、沸騰させると簡単な汁物ができ上がります。

福岡県福岡市
蒔炊き豆腐 鳥飼豆腐
豆汁は石造りの竃で薪炊きする昔懐かしい味わいの木綿豆腐
博多の街から南へ約20km、脊振山地の中腹、福岡と佐賀の県境にほど近い早良区石釜の地に、大正10年創業の鳥飼豆腐がある。 時計はまだ深夜の1時を少し回ったばかり。それでも、店にはもう明かりが灯っていた。窓から真っ白い湯気が勢いよく噴き上げ、暗い戸外へ流れ出している。3代目の鳥飼重基さんが大豆をすりつぶした豆汁(呉)を炊く、その大きな鉄釜から立ちのぼる湯気だ。

「豆腐は水に浸けた大豆をすりつぶしてから炊き上げて豆乳をとり、そこにニガリを加えて固めるわけなんですけど。うちでは豆汁を炊いて豆乳を作る際、今でも昔の厚手の鉄釜を使って、薪の火で炊いてるんですよ。これ、ボイラーを使えば蒸気で短時間に炊けるんですが、薪の火のほうが自然で豆にやさしいというか、しっかりした味になるんです」 もとより、薪炊きは火の管理が難しい。ボイラーの何倍も時間がかかる上、うっかりすると焦げついてしまうから、片時も目が離せない。

だから、商品は定番の木綿豆腐と厚揚げ、あとは寄せ豆腐のみ。それでも、あえて手間のかかる昔ながらの薪炊きに徹する、それが鳥飼豆腐の味へのこだわりだ。 「私の親父の時代は、この近在の人しかお客がいませんから、1日わずか60丁くらいの豆腐をこつこつ手作りしていたものなんです。でも、今は交通の便がよくなって、峠越えをしなくても佐賀へ抜けられる。おかげで、通りがかりの人ができたての豆腐を食べたいと大勢来てくれるようになって。それこそ開店前からお客さんが見えるんですよ」

その人気に応えるため、豆腐作りは深夜の0時から昼の1時過ぎまで続けられる。土・日曜はとくにお客が多く、夕方までかかっても、まだ追いつかない状態だという。

熊本県泉村
豆腐の味噌漬け 泉屋本店
秘境に伝わる豆腐のチーズは平家落人伝説とともに今に生きる
熊本県八代市から東へ約30kmの距離にある泉村は、山また山が幾重にも連なった文字通りの山里だ。その山道をさらに奥へ分け入ると、ほどなく平家の落人伝説で名高い泉村五家荘へといたる。

この泉村一帯に800年の昔から伝わっている保存食のひとつに東洋のチーズともいわれる豆腐の味噌漬けがある。 古くは源氏の追討の手を逃れ、山深い秘境の地に隠れ住んだ平家の落人たちが貴重な蛋白源を確保するために考案したものだという。 そんな平家の落人伝説とともに伝わる豆腐の味噌漬けを専門に手作りしているのが泉村『泉屋本店』だ。

「豆腐は近くの店に特別注文するんですが、極力、水分を切って固めに仕上げてもらう。それを、じっくり焼き上げて、さらに水分を抜いてから、あとで型崩れしないようひとつずつガーゼにくるんで、うちの自家製の納豆麹味噌に丁寧に漬け込んでいくんですよ」(杉本八郎氏)

この泉屋本店の人手は家族4人だけとあって、1日に漬け込める量はひと樽分の225個のみ。これを0度に保たれた冷蔵庫の中で半年ほど寝かせるのだが、味噌を豆腐に充分馴染ませるためには、途中、何度か漬けかえをしなければいけないというからなかなかに手間がかかる。

やがて、半年もすると、豆腐はやわらかいチーズ状になり、その中まで味噌の甘みが染みわたる。東洋のチーズと噂される所以である。 「ただ、昔の豆腐の味噌漬けは、あくまでも長期保存が主眼で、もっと固くてかなり塩辛いものだったでしょうね。でも、うちが作る豆腐の味噌漬けは納豆麹味噌の甘みがほんのりきいて、やわらかさ、舌ざわり、風味とも最高だと思います」 たしかに、舌にとろける、その不思議な旨みは例えようもない

佐賀県唐津市
ざる豆腐 川島豆腐店
とろける旨さをざるに寄せる玄界灘の漁師が生んだ朝一番のあつあつ
搾り立ての豆乳にニガリを打って掻き混ぜると、やがておぼろ状に固まり始める。それを、いくつもの穴が開いた型箱に流し込み、上から重石をかけて水切りしたものがいわゆる豆腐だが、型箱を使わずに、傍らに並べた竹ざるに次々とおぼろを掬って寄せ、そのまま自然に水切りをする。それが佐賀県唐津の川島豆腐店自慢のざる豆腐だ。

これはもともとは玄界灘の島々で鯨捕りが盛んだった江戸の昔、漁師のおかみさんたちの生活の知恵から生まれたものといわれる。 「昔は、釜で炊いた豆乳に海水を入れて固めたので、潮豆腐といったんですが、おぼろ状になったところで竹ざるに寄せた。ざるはどこの家にでもあったし、鯨が捕れて忙しいときでも、そのままにして出て行けるからよかったんでしょうね」

そのざる豆腐を魁らせたのが寛政年間(1789~1801)から続く「川島豆腐店」の9代目・川島義政氏。原料は国産の無農薬大豆100%。 これを3万ガウスの磁場をかけて作る良質の水に浸け、すり潰して煮立てた濃度の高い豆乳を、扱いの難しい本ニガリだけで固める。

「本物のニガリじゃないと、大豆の甘みが出てきませんから。このニガリは、豆乳が熱いうちに打って、凝固反応を早めてやるほうが扱いがラクなんです。でも、それじゃあ、ぼそぼそとした固い豆腐になってしまう。だから、うちでは豆乳の温度を68度に下げて、なおふわっと滑らかに固めてみせる、そのへんが腕のみせどころなんですよ」

また、豆腐は出来上がったら水に晒すのがもっぱらの常識だが、「水に晒すと、豆腐の旨みも栄養分も逃げてしまう」というのが川島氏の確固とした信念らしい。 豆腐は水分が多いから、どうしても腐りやすい。そのために冷たい水に晒して悪くならんようにするんですね。でも、ざる豆腐は、その水分が自然に切れていくのと、竹ざるの抗菌効果もあって、すごく日持ちがいい。しかも、炊き立ての状態で寄せて、水に浸けませんから、大豆の風味がいつまでも逃げない。あつあつの出来立ても美味しいし、日が経っても美味しいんです」

ざるから水分が抜けていくに従って、舌ざわりが変わり、やがてはチーズに似た味わいになるという。そんな川島氏のこだわりの逸品、ざる豆腐は1日限定40枚のみだ。


佐賀県有田町
ごどうふ 高島豆腐店
葛と澱粉で固める豆腐は餅のように粘る
焼き物の里として名高い佐賀県有田町にごどうふの名で呼ばれる一風変わった豆腐がある。

見た目はきわめて滑らかで艶があり、むしろプリンに近い。が、箸でつまんでも千切れないほど粘りが強く、食感は餅にも似ている。 とても豆腐とは思えないが、大豆をすり潰した豆汁を釜で炊いて搾った豆乳で作るというから、まぎれもなく豆腐である。 そのごどうふをもっぱら手作りしているのが有田町の町役場近くにある高島豆腐店だ。

「これ、豆乳を作るところまではまったく普通の豆腐と同じなんですよ。ただ、ニガリを使わずに、葛と澱粉で固めるんです。葛ばかりだと固くなりすぎるし、逆に澱粉が強いと、とろとろになる。それをうまく配分して1時間くらい練るんですけども、その練り始めがとくに難しいんですよ」(高島明博氏)

この風変わりな豆腐は法事の席につきもので、昔は各家庭で手作りしたらしいが、高島豆腐店が 作るごどうふは地元の人はもちろん、観光で有田の町を訪れる人たちの間にも評判がいい。 「噂を聞いたからって、遠くから訪ねてくる料理屋さんなんかもいるんですよ。それに法事があると、田舎のことですから、沢山人が集まるでしょう。だから、そのときは注文が殺到して大変なんです」 普段、高島氏は早朝3時半から仕事にかかる。が、法事が集中する週末はいつも2時起きで、ごどうふ作りに追われている。


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