1.豆腐は中国から日本に伝わった
豆腐の原料となる大豆は、一般的に中国本土および、朝鮮から東南アジア一帯のものであるとされており、その栽培の歴史が古いことはもちろんのこと、中国における大豆の食品化も5000年に近い伝統を持つといわれています。
大豆をすりつぶし、しぼってできる豆乳をニガリで凝固させるという、極めてシンプルな加工食品である豆腐ですが、その起源や歴史・伝来ルートに関しては、実際のところいまだに解明されていない部分が数多く残されています。
一説によれば、中国で初めて豆腐が作られたのは、今から2000年前、漢の時代に准南王劉安(わいなんおうりゅうあん)によって創案されたのがはじまりだったといわれています。しかし、実際のところ文献に「豆腐」という文字が登場するのは、約1000年前に宋の時代初期に書かれた『清異録』という書物が最初で、6世紀の農書・料理書として知られている『斉民要術』には豆腐についての記述はありませんでした。
さらに随、唐の時代の料理書にも豆腐を含めて腐と名づけられた食品の記載はありません。
では、その豆腐はいつごろ、どのような経路をたどって日本へ入ってきたのでしょうか。日本では奈良・平安の時代、中国では唐の時代というのが定説とされています。
上陸地点は沖縄、土佐、そして春日大社の文献にも記載されている奈良です。沖縄には、中国大陸から直輸入され、「豆腐よう」や「ゆし豆腐」などが定着していきました。
土佐への伝来は文録・慶長年間の朝鮮戦争の際、朝鮮半島から豆腐職人を連れてきて、藩制時代、豆腐の製造業者として専売権を与えたのがはじまりだといわれています。
平安末期の寿永3年に奈良春日大社の若宮神主中臣祐重の書いた日記によれば、御供物に「唐府」という記載があります。奈良時代に仏教の伝来(7~8世紀)とともに豆腐も入ってきたのではないかと、この記述から想像できます。
禅僧の精進料理が豆腐を広めた
奈良時代に僧侶によって中国から伝来したといわれる豆腐が、日本に広められたのは、精進料理のメニューとしてでした。
日本では、平安時代の前期、9世紀から10世紀にかけて、禅宗が盛んになり、何人もの僧が 中国に修行にでかけています。その時、彼らが日本に持ち帰ったのが、茶の湯であり、懐石料理であり、精進料理でした。
12世紀の初めに中国に渡った道元(永平寺を建立した曹洞宗の開祖)が、中国の老僧に、肉 食をタブーとする禅宗の僧は栄養に注意するようアドバイスを受けたことから、栄養価の高い豆腐の作り方を学んで帰ったという話もあります。
いずれにしても、たんぱく質不足になりがちな禅宗の修行僧にとって、高たんぱく質の豆腐料理は、精進料理のメニューとして重要だったのです。そのために豆腐は最初は僧侶の間に広まっていきやがて貴族階級にももたらされていきました。鎌倉・室町時代以降になると、僧や上流階級だけでなく一般にも普及してきたらしく、生活上の知識が書かれた書物に、たびたび豆腐が登場してくるようになります。「唐符」あるいは「唐布」と記載されていますが、「白壁」などの異称もあったようです。
室町時代末期の「七十一番職人歌合」には、奈良から京都まで売りに来ている女性の豆腐
売りの図柄がのっています。ずいぶん遠くまで売りに来たものだという感慨は別にして、
この当時すでに業者らしきものが現れていて豆腐が庶民生活に溶けこんできたことがよくわかります。
江戸時代に大人気の豆腐料理書「豆腐百珍」
豆腐が本格的に庶民の食生活に取り入れられるようになったのは、江戸時代からです。かなり辺部な郊外でも豆腐屋があったらしく、豆腐が江戸時代の人たちにいかに人気を博していたかがよくわかります。
また徳川幕府は、経済の安定のために価格統制を行っていますが、その中に豆腐が含まれていることからも、豆腐がすでに庶民の生活と切り離せないものになっていたことが推測できます。
当然、豆腐を使った料理を紹介する本もたくさん出版されています。その中で最高峰ともいうべき豆腐料理書が、豆腐百珍です。1782年に出版されて大ベストセラーになり、翌年にはすぐ続編が出版されています。続編と続編の付録を合わせると、紹介された料理は238品。なかには切り方の違いだけで名前を変えたようなものまであるとはいえ、現在でも豆腐料理専門家の教科書となっているほどの名著なのです。
『豆腐百珍』は大阪で出版されたものですが、東京(江戸)と京都・大阪では多少豆腐の好みが違っていたらしく、おもに東京では硬いもめん豆腐、京阪では軟らかなきぬごし豆腐が作られていたといわれます。硬いもめん豆腐は水に入れて運ばなくても崩れなかったといいますから、せっかちな江戸っ子に合っていたのでしょうか。
ところで、江戸時代に豆腐は庶民の味として定着したといっても、それは都会だけのことであり、地方の農村地帯では、まだまだ正月、盆、祭、結婚式、葬式といったハレの日の特別な食べ物だったようです。
1、一晩水にさらしておいた大豆をグラインダーに入れ、地下水を上から加えながら細かく砕いていきます。ポタポタと押し出される汁は、見るからに濃厚です。
2、挽いた豆汁は圧力釜で20分間蒸し煮にします。この間、豆汁の急な温度上昇を防ぐため、上から数回に分けて水をたっぷりかけ、釜の温度を下げます。
3、煮上がったものを機械にかけて、豆乳とおからに分けていきます。湯気が立ちのぼるおからは、しっとりしていて、そのままでも食べられそうです。
4、できたての豆乳はほんのりと甘く薄い黄色で、時間とともにコクが出てきます。少したつとすぐに薄い膜が張ってきますが、これが「ゆば」です。
5、豆乳の表面にできたゆばをとり除き、天然のニガリを一気に加えます。容器から無造作にすくったように見えますが、きちんと量が計算されています。
6、ニガリを入れたら、固めるために大じゃくしで力を込めて、手前から奥に押します。しっかりと圧力がかかっているので、1日たっても、空気が抜けてつぶれてしまうことはありません。
7、固まった豆腐をお玉で丸くすくって、さらしを敷いたざるにのせます。こぼれそうでこぼれない微妙なすくい加減と、固まり具合のバランスが見事です
8、豆腐を包んでビニール袋に入れてから地下水を張った水槽で冷やします。
豆腐は四角い豆腐の6~7丁分あります。
4.わが家の手作り豆腐
まず道具を用意しよう
豆腐を固めるための型箱…四角い箱に水出し用の穴のあいたものが理想ですが、柳行李の弁当箱やザルでもかまいません。きぬごし豆腐なら弁当箱やボールなど穴のあいていない容器でも結構です。
すりつぶした大豆をこすための袋…無漂白のさらし木綿や清潔なふきんを袋縫いにしておきます。
型箱に敷く布…上から豆腐を包みこめるくらいの大きさのさらし木綿かふきんを用意します。
そのほか、大きめのボール、ミキサー、すりつぶした大豆を煮る深い鍋、おたま、計量カップ、調理用温度計、しゃもじやヘラなどを用意します。
材料
・乾し大豆300グラム(約2丁分)
直径7ミリ前後の中粒が適しているといわれる。できれば国産品を選び、収穫後1年以内のものを。
・ニガリ(凝固剤)
豆腐店で分けてもらうか、塩化マグネシウムなどを薬局で購入する。
・水
水道水は浄水器を使うか、前日から汲み置きしておくとよい。
豆腐作りの手順とコツ
①大豆を洗って水に浸す
虫食いやゴミを取り除いて、大豆を水でよく洗い、大豆の3倍以上の水に浸して一晩おきます。夏は、冷蔵庫や日の当たらない涼しい場所に。
②ミキサーにかけて「呉」を作る
ふやけた大豆と同量の水を、2~3回に分けて、なめらかな液体になるまでミキサーにかけます。ここでできた白い豆汁を「呉」といいます。
③「呉」を煮る
深鍋に水約9リットルを沸騰させ、そこに呉を浮かせるような感じで入れます。沸騰したら火を弱め、ヘラなどで底をかき回しながら約10分間煮ます。
④「呉」をしぼって豆乳を作る
こし袋を使って熱いうちにしぼってしまうのがコツです。ボールの上にザルをのせてこし袋を敷き、呉を流し込んだら、袋の口をねじってしぼります。出てきた白い液体が豆腐作りに使う豆乳、袋に残ったものがおからです。
⑤「ニガりを打つ」(凝固剤を入れる)
ニガリを入れるときは、豆乳の温度を70~75度にしておきます。温度が高すぎると豆腐が硬くなり、低すぎるとなかなか固まりません。 ニガリは、大豆300グラムに対して小さじ2杯くらいを、ぬるま湯で3倍に薄めて使います。2~3回に分けて少しずつ入れ、ヘラでそっとかき混ぜます。黄色みを帯びた澄んだ液体「ゆ」が見えてきたら、ふたをして放置しておくと、10~15分くらいで固まってきます。
⑥「ゆ」を取り除く
ふわふわと固まった状態の豆腐を「寄せ豆腐」「おぼろ豆腐」といい、通が好んで食べるといわれます。これを型に入れて固める前に、「ゆ」を取り除きます。ザルを浮かべ、中に入ってきた「ゆ」をおたまですくい取ります。
⑦型に入れて重しをかける
型に敷き布を敷きつめて、寄せ豆腐を穴あきのおたまですくって入れ、表面を敷き布の余った部分でおおいます。その後、形を整えるために重しをのせ、普通10分くらいそのままにしておきます。
穴のない容器できぬごし豆腐を作る時は、敷き布も重しもいりません。寄せ豆腐を型に入れてそのまま放置すれば固まります。
⑥豆腐を型から抜く
水を張ったボールなどの中で、崩れないようにていねいに豆腐を抜きます。そのまま水にさらしておくと、ニガリの苦みがとれます。
これでできあがりです。新鮮な豆腐のおいしさはできてから8時間までといわれます。せっかくの手づくり豆腐、おいしいうちに味わってください。