1.納豆を干した干し納豆とは
干し納豆は携帯に便利。干し納豆というのはまったく味わい深いものであります。糸引き納豆を干して乾燥させたものですから、水分が飛んでしまっている分だけさらに味が濃く、保存も利き、そしてさまざまな料理に使えるのです。
第一、それまでの糸引き納豆が、ぐんと自分の身に近くなった気分がするのは、干した納豆は散粒のままポケットに入れたり、紙に包んだり、広口ビンに詰めたりして持ち歩きができるからであります。
その干し納豆を口の中に入れますと、唾液に濡れてヌラヌラの糸を回復し、乾燥前と同じような風味になるからうれしい。
東北地方にはこの乾燥した納豆がかなり多くて、雪割り納豆とかひき割り納豆、塩納豆、干し納豆、乾燥納豆、手握り納豆などさまざまな名前がつけられています。
形で分けると二つのタイプがあって、乾燥した納豆を掲いたりひいたりして割ったものと、丸のままのものとがあります。
干し納豆の食べ方ですが、一番いいのは酒の肴。水分が飛んで味が濃縮されていますので、濃厚なうま味が口に広がります。したがって日本酒ならば純米酒のような味の濃い日本酒の方が納豆に負けず、よろしいのではないかと存ずる次第です。
また、飯を丼に盛り、その上に干し納豆を撤き、そこに煮沸している湯をぶっかけまして、いわゆる湯づけ飯にしますと、こりゃうまい。たまったものではないぐらいうまいので、たちまち丼飯をお代わりいたすことになります。
また、このような乾いた納豆は白湯で楽しむのもよろしいもので、とくに胃袋が空になっている朝などにいただきますとよろしいのであります。干し納豆を好みの量湯呑み茶碗に入れまして、そこに熱湯をさっと入れ、すぐには飲まずに3分ぐらい置いてから一度箸でざっとかきまわし、じっくりと味わってみて下さい。白湯納豆というのは美味なものであったのか、と感激すること請け合いです。
「食の対比文化」とは
納豆のジャンルには入りませんが、菓子に「甘納豆」という名品があります。
塩辛納豆があるのですから、このような甘納豆があってもよいでしょう。立派な対比文化じゃありませんか。
つまり「濃と淡」、言い換えれば「表と裏」、はたまた別の視野から見れば「重さと軽さ」といったような、妙味ある対比がしばしば見うけられるのです。
たとえば、醤油には濃口と薄口があるし、味噌には赤だしのような濃い味の赤系ものと、西京のように淡い味の自系ものがある。日本人のこのような「重さと軽さ」の食文化の背景には、粋な感覚が色濃く感じられるのです。そこには「表と裏」とか「吸気と呼気」のような一体性のものや、「本音と建前」といった洒落た感覚さえも、潜んでいる気がしてならないのです。
さらに豆腐と油揚げ。豆腐は色が「淡」であり、油揚げは「濃」。豆腐には味の「軽さ」があり、反対に油揚げは「重さ」がある。豆腐はさっぱりした明るさがある「表」通りだが、油揚げは人情味あふれる「裏」通り。豆腐が「本音」であれば、油揚げは「建前」なのです。こうした見方をしますと、味噌汁と吸い物の対比にも面白さがあります。一方は濁って、不透明、具はゴロゴロ入っているが、他方は澄み切って透明、味もあっさりしている。肝心な味のつけ方も、味噌汁が「重み」のある味噌味なら、吸い物は「軽く」塩味でかわす。
まあ、そんなわけで対比食文化という点で塩辛納豆に対して甘納豆の存在は誠にもってうれしいものであります。